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エッセー

「生涯一騎手」

 

岡部 幸雄(おかべ ゆきお)

                   

プロフィール

生年月日   1948年10月31日

血液型/星座 A型/蠍座

初免許年   1967年
出身地    群馬県
初騎乗      1967年3月4日 2回 東京2日 
       12R ヨネノハナ(3着/10頭)
初勝利      1967年5月5日 3回 東京4日

         1R ミスコロナ

 

 

 今年3月、昭和42年の初騎乗から38年の騎手生活から身を退くことを決めた。振り返れば私より周囲の方々のほうが私の生涯成績については遥かに詳しく、時々の成績がどうであったのかという事どもをよく調べ上げられていた。だから自分でも予想に反して現状までの成績や記録といったところからは遠くの位置に立って、ただこれ以上乗れなくなったという自然に任せての引退であった。

 

 何時かは馬を降りる日が来ることは自分自身が一番知っていたし、だから引退ということに関してもあまり感慨深いものは無かったというのが本音だった。

 

 ただ私のようなもともとは競馬界とは無縁で凡庸な騎手が今日まで騎乗できたことに関しては、本当にたくさんの方々の支えがあってのことと感謝の念でいっぱいであったこと。そして何よりも私を騎乗させてくれた数知れない馬たちに出会えたことに深く感謝することで精一杯であった。引退という重大事について何方に相談されたのか。という多くの方々の質問には、少し面食らった。引退については誰に相談することもなく自分で決めた。ただそれだけのことで、正直誰かに相談してからこういうことは決めなければ成らないのかという、世間とのギャップも感じた。ただ世間とのギャップということに自己弁護を加えるならば、引退を決意しておきながら妻には相談した。けれどこれは本来相談という言葉には似つかわしくはない。それはながく人生をともに歩んできた妻への相談という名の、事実は了解というものであっただろうと思う。

 

 振り返ると38年の間に競馬を取り巻く環境は大きく変わった。かつての競馬新聞片手に赤鉛筆といったイメージから、競馬はお洒落なスポーツであったり、レジャーだったりしてきている。ごく普通の若いお嬢さんやカップルが競馬場に本当に多く見かけられるようになった。私が競馬界に身を置いた頃とは雲泥の感がある。

 競馬場への来場者もさることながら、馬の質も向上し、騎手の力量も発展した。私にとって今後の競馬に期待するところは大きく、今後は競馬の一ファンとして、また競馬界に身を置いた者として何よりも益々の発展と向上を願うものである。

 しかし反面競馬にゆとりが無くなった感はある。世の中は飛躍的に発展し、豊かで一見するとあくせくすることなく馬の育成がより良いかたちで出来うる環境が整ったはずではあった。海外から先進的な育成技術や調教技術を導入したり、科学的なデーターを駆使することも多くなった。それは評価すべき点も多く、今後もそうした分野に力が費やされることによってよりよい競馬が展開されることに多くを望む一人ではある。

 

 

 けれどいま競馬の世界はある意味でモータースポーツの世界に類似しすぎているように感じられてしかたがない。私が騎手になりたての頃は、いまよりは貧しい環境の中で競馬は行われていた。それでも馬に対する慈しみの気持ちや、愛情がもっと満ち溢れていたような気がする。皆がもっと馬に対する安っぽい自信やプライドではない本物の確固たる気概のようなものを持っていたと思う。それは決して過ぎた日の郷愁や哀愁の念から発飾する感情ではない。

 

 騎手とは確かに馬の手綱を握り、鞭を携えて馬を走らす人のことかもしれない。けれども馬はマシンではない。少なくとも私自信はそう信じているし、そうあるべきであると思っている。私は馬に跨がる者。そしてその馬が納得できる走りを見せられることを、手伝う者。私にとっての希望であり、そうなれなかったのではあるけれども、そうありたいと願い続けた騎手の一人である。

 

 私が言うのはおかしな話かもしれないのではあるけれど、何時しか競走馬はかつてより遥かに経済動物となってしまった。競馬という世界に馬が登場すること自体が経済動物であることにはかわりないのだが、馬車馬の如く故障を承知でオーバーヒートさせてお釈迦になっていくそんな馬がいるのも事実である。機械であれば次のマシンが待っている。しかしいくら競走馬だとはいえ本当だったらもう少し状態を整えたならばむしろもっと力量を発揮したり、故障することも無かったと考えられる場面に遭遇することが多くなった。何かあくせくとした馬に対する思いを垣間見てしまうようで大変残念である。引退した私のこうした思いはもはや古臭く歳を重ねたものの老婆心のなせる業なのかもしれない。

 

 かつて私の先輩たちも、多分若い日の私にそんな思いを抱きつつも若い私にそうしてくれたように、いまは静かに見つめようと思う。若さや新しさという不安定で変化に満ちたそれがこれからの競馬をより善く、面白くしてくれる何かを生み出す原動力なのかもしれないし、私には感じる事の難しくなった時流、時の鼓動なのかもしれない。引退してしまった私という者に、それでも騎手として馬と関わった私という中から何かを引き出そうという若い騎手には、私の知り得る全てを伝えたいと思っている。私のできなかった競馬を、私を遥かに超えて成し遂げてほしい。

 

 いま私にもう一度馬に騎乗したいかという言葉を投げかけてくるひとは多い。しかしいまの私はそういう思いを強くしたことがない。何れ時が行過ぎる中でそうした思いが訪れる日が来るのかもしれないが、いまは少しスローに日々を過ごしたいと思っている。テレビドラマ「瑠璃の島」の舞台となった鳩間島、巨樹の宝庫屋久島を引退してから旅をしてみた。夏にはもう一度鳩間に行ってみたいと思っている。自然は不便を顧みて感じることは出来ない。静かで長閑でそれでいて厳しい。都会とは全く違う暮らしの中にある。人も樹も草も波も日々を生きている。できるだけこうしたスタイルで日々を送ってこようとはしてきたつもりであった。それでもあらためてもう少し早くこうした自然に多く身を置く時間の余裕があったら、また違う競馬ができたのかもしれない。

 


岡部幸雄 記録集(JRA成績のみ)
  ●騎乗回数 18,646回
  ●重賞競争騎乗回数 1,252回
  ●勝利数 2,943勝
  ●重賞勝利数 165勝
  ●G1勝利数   31勝
  ●G1レース級勝利数   36勝(昭和58年以前に5勝)
  ●JRA賞騎手大賞受賞 2回

 

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