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エッセー

ネオジャパネスクBONSAlとさつき盆栽

 

中村 幸一(なかむらこういち)
日本さつき盆栽協会理事
  三菱重工業株式会社勤務

 

ネオジャパネスクBONSAI

 

 スローライフが囁(ささや)かれる昨今、わたしたち日本人は余暇の使い方が下手だと言われています。
 日本全土が急速に老齢化に向けて突き進んで、さも抜け殻の様になった中高年層、自分の行き先がわからない若者達。わたしたちは今何を道しるべに生きて行けば良いかわからなくなっているような気がします。
 しかし、少しずつ若者の中に、新しい自分達が芽生えてきているのを感じはじめて来ているように思います。それは中高年の人達には懐かしいことなのに、若者達には目新しい新鮮なことととらえられ、古いものが新しく「リメイク」されて登場してきています。それも古き良き時代の日本のモノなのです。まさに日本人のDNAが目をさまし、生き返ろうとしているかのように思えます。日本の文化の象徴的存在の「盆栽」も例外ではなく、今若者の中で盆栽に興味を持つ人たちが確実に増えており、古来から愛好栽培されて、継承されてきた盆栽とはひと味違う自由な形の盆栽が育ちつつあります。和洋折衷の時代は過ぎ、最近の住宅事情はどうですか、どの部屋もフローリングが敷いてあり、畳の部屋は珍しくなりました。それでもさすが日本人です、どこかに畳の部屋を残しておきたいのでしょう。それがガーデニングの末に見つけたのが「盆栽」と言う畳の部屋なのかも知れません。そこでフローリングの部屋に似合う盆栽が必要なのです。日本には盆栽の他にいろんな伝統文化があり、それにたずさわる人達も、盆栽の世界の人達も大きな波が押し寄せてきているのを知りつつ、どう村応すればいいのか解らず、試行錯誤をし自分の砦を守るのに精一杯のように見えます。新しい波が外から押し寄せてきたのは、明治の頃で、今の時代は内から発生してきています。だから防ぎようがないのです。今起ろうとすることを受け入れる事が新しい日本の文化になって行くのではないかと思います。盆栽の世界でも部屋の中で長く楽しめる盆栽の供給、洋室に合う盆栽の形作りなど、問題は今の盆栽の素材、概念を捨てて、もう一度新しい方向から植物を見直さなければなりません。

 

日本古来の盆栽

 

 もともと盆栽も大陸から渡って来たもので、初期の頃は今で言う箱庭のようにいろんな植物を寄せ植えされていたものと思われます。その後室町時代になって一鉢に一本の盆栽として植えられるようになり、江戸時代には今の姿に近く、形作られるようになったようです。池大雅(いけのたいが)などの文人画家、南画家、雪舟などが中国の古書「芥子園画伝(かいしえんがでん)」などを参考に、自然の中に有る樹木の姿を絵にした事から、盆栽の世界でも現在の盆栽に近い、より自然の樹木の姿に近く格調高い観賞価値の高い盆栽が出来上がって来ました。明治中期になって盆栽の愛好者が増え益々盛んになり、その頃パリで開かれた万国博覧会に「盆栽」が出展され「BONSAI」の名前が世界中に認知されたのです。そして飛躍的に盆栽作りの技術を向上させたのが針金を巻き付けて形を作る「針金整形」と言われる技術の発明です。今まで枝に重りをつけたり、引っ張ったりして枝を矯正していたのをこの技術で作者の思いが容易に早く表現出来る様になりました。その後昭和九年春東京府美術館で第一回国風盆栽展が初めて開催されました。今も日本の最高の盆栽展とされ愛好者の檜舞台となっています。
 しかし近年あまりにも技術が発達しすぎて、日本古来の自然から学んだ盆栽とは違った方向に発展しているとの意見も有り、またその反面芸術として盆栽をとらえるのならもっと自由に表現したいと言う作家もいます。伝統的な盆栽を守るのか、自由な盆栽を認めるのか。
 知らず知らずの内に業界は岐路に立たされているのです。

 

 

さつき盆栽

 

 さつきは日本固有の植物で、古くから愛好されて来ました。江戸時代に出版された「錦繍枕(きんしょうきん)」には100種類以上のさつきの品種が記載され、明治中期からは、交配による新品種の作出、枝変り(突然変異)の発見により現在では3000種以上と言われていますが、消滅種や文献上に品種名だけが残っているものがあり、実際700種程度となっています。
 その独特の美しさは海外でも認められて「アザレア」と言う名で品種改良されました。アザレアは中国産のツツジと日本産のさつき、そして久留米ツツジなどがヨーロッパで交配改良されたものです。よく展示会などでさつきとツツジの違いを質問されますが、「さつき」はツツジ科ツツジ属の常緑小低木で現在の園芸品種は、サツキツツジとマルバサツキ(九州南部から沖縄諸島に自生)との雑種から出発したものが多く、ツツジとあまりにもよく似ていて、その違いの判断は非常に難しく、簡単に言えば開花期がツツジは一般に4月~5月中旬、さつきはツツジが咲き終った後5月中旬~6月中旬にかけ咲き、旧暦の皐月(5月)に咲いたのでこの名がついたと言われています。
 また、ツツジは開花後、さつきは開花前に新芽が出ます。

 

 

 さつきの初期の主な生産地は九州熊本、久留米地方。関西は宝塚山本、関東は鹿沼地方で多く生産され、昭和に入って今まで川砂などで植えていたのが鹿沼土の発見によって鹿沼地方が一大生産地に発展しました。現在では日本全国にその愛好者は拡大し花だけではなくて、さつきの特性を生かした盆栽を育てる人たちがふえてきました。さつきの特徴は、類を見ないその花の多様さが見る人を魅了し、花の色が多様で、赤、白、紫、など一本の木に入り乱れて咲くとんでもない木です。そのうえ花弁の先だけが赤かったり、半分だけか紫だったり、花の形も大きくフリルのついたもの、小さく桔梗の様なもの、筒形になったゆりの様な花、そして釆配の様な形の花等が有り一本の木でも同じ花が無いと思われるくらい、いろんな花が咲きます。そして、雑木に見られる幹の美しさ、大地を鷲掴みするような根の姿、繊細な枝先。その美しさはどの樹種にもまけません。またその作りやすさも大衆に受け入れられ易い原因でしょう。挿し芽で簡単に増やすことができ、枝を間違って切ってもまた芽が出て来ます。そして形を大きくやり直す事もできます。
 最近ではどんな樹種よりも人気が有り、盆栽の世界を支えるようになっています。私の所属している「日本さつき盆栽協会」はさつきを使って色んな木の姿を表現しようと活動する団体で、主な活動は「大阪国際花の博覧会」出展、「明日香高松塚盆栽展」企画実施、「ユネスコ国際会議に盆栽装飾」、「毎日新開本社、秋風展」企画実施、「淡路花博盆栽展」企画実施、「薬師寺秋風展」企画実施等でさつきの盆栽を栽培し、仲間を増やし日本の文化を継承していく活動に努力しています。
 少し難しい話になりましたが「さつき」の楽しみ方は色々あり、花を楽しむのもよし、新木(地植の未整形木)より盆栽に育てるのが楽しければそれもよし、要は自分自身で余暇を利用し楽しみ方を見つけるのが一番よいのではないでしょうか。
 また、さつきの育て方等でおこまりのことがあれば、御遠慮無く声をかけて下さい。
 

 

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