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エッセー 

おいしい水が作る日本の食卓

岸 朝子

 

 

 みずも滴るいい男、みずみずしい肌など、男女を問わず美しい人の表現に、「みず」ということばが使われるように、私たちのからだは60~65%が水分からできています。山や海で遭難したとき、何も食べなくても水さえあれば数十日は生存できますが水がなければ、数日で死んでしまうといわれます。

 

 さて、その大切な水。幸い日本は世界でも珍しい「生水文化圏」といわれています。山の中での湧水や里に下りれば井戸水と、どこで飲んでも安全でおいしい水に恵まれてきました。しかし、最近では環境破壊によって水源が汚染されるなどの問題も起きています。

 

 

日本料理は水の料理

 

 「中国料理は火と油の料理」といわれるのに対して、「日本料理は水の料理」といわれます。たとえば水洗い、鯛からはじまってあじやさばなどでも、頭や内臓をとり除いたあと、流水できれいに洗い流して水気をふき取ります。これが水洗いで、このあと三枚におろして刺身や焼き物、煮物などの料理に仕上げます。水洗いが不十分だったり、まな板の洗い方が悪かったりすると、生臭さが残るので、料理人はこの水洗いを重視しています。水洗いをしたあとはいっさい水を使わないのが原則ですが、洗いやかつおのたたきは例外。すずきやこち、鯉を薄くそぎ切りにして氷水に放ち、身がちりっとはぜたところで盛りつけます。これは生きている魚しか使いません。ご存じかつおのたたきは、節におろしたかつおを金串に刺して塩を振り、皮目を下にしてさっと焼いて氷水に放して冷まします。たたきの発祥地といわれる高知では水にとらず熱いうちに香味野菜や酢をたたきつけますが、氷水にとって手早く冷やす方法が一般に行われています。野菜ではほうれん草などをゆでて水にさらし、アクを除きます。ゆでたり、煮たりは水あってこその料理ですし、米を炊くときは水でよくといだあと水に浸して充分に吸水させるのが、ふっくらとしたご飯に仕上げるポイント。また、吸い物やみそ汁の味の決めてとなるだしも、水のよしあしが仕上がりを決めるといわれ、フランスのパリで日本料理を紹介した京都の料理人たちは、日本から水を持参したと聞いています。

 

 日本料理の材料となる豆腐や湯葉、生麩なども製造の途中で水をたくさん使うため、良質の水に恵まれた土地で多く作られています。日本酒も同様。米と水が原料ですから水が命ともいえるでしょう。兵庫県の西宮市や神戸市東灘区にかけて日本を代表する酒が造られているのも、宮水と呼ばれる伏流水が湧き出しているためです。

 東京都内23区で唯一の造り酒屋である北区の小山酒造では荒川河畔に湧き出ていた水を仕込み水として使い、 「丸真正宗」という銘酒を作っています。その水脈にある赤羽駅近くの「みやこ豆腐」の豆腐は「美味しんぼ」の作者雁屋哲さんが日本一の豆腐と絶賛している味。豆腐と酒といえば青梅線の沢井駅から5分の地にある「ままごと屋」は、豆腐料理で有名。もとはといえば三百年の伝統を誇る銘酒「澤乃井」の蔵元小沢酒造の経営で、豆腐作りも酒造りも敷地内にこんこんと湧き出す石清水があってこその味です。このほか、おいしい手打ちそばがあるところには、名水があるといった具合で私たちの暮らしを豊かにする水のありがたさを忘れることはできません。

 

 

おいしい水を守ろう

 

 おいしい水の条件は、すっきりしていてくせがないものですが、昨今は水源地の環境が悪化して地下水の汚染が進み、水道の水にもにおいがつくようになりました。このにおいをとる目的でカルキを加えるため、水道水にカルキ臭がつくといったことで、若い人たちの間から始まってミネラルウォーターブームが起きています。20数年前にはじめてヨーロッパを旅したとき、ホテルやレストランで水の注文を取るのに驚きました。また、若者がペットボトルを片手に街を歩いている姿に呆れましたが、日本でもこれはファッションのひとつになっています。水を買うなんて、大正生まれの私たちには信じられない時代です。おいしい水の条件はカルシウムとマグネシウムなどのミネラルと、炭酸ガスがある程度入った状態です。カルシウムとマグネシウムの量から算出される数値を硬度と呼び、数値が高いものを硬水、低いものを軟水といいます。火山地帯である日本の水はアルカリ性で硬度が50ぐらいの軟水ですが、フランスなど西ヨーロッパの水は硬度が高い硬水です。

 

 どこでも安心しておいしい水を飲むことができるためには、家庭の台所から考えなくてはいけません。大さじ1杯の油を流すとその処理に風呂桶約10杯の水が必要といわれます。工場や家庭の排水が地下水を汚すだけでなく、水源となる湖沼では栄養分がふえて藻が増殖してにおいの原因にもなります。てんぷら油は新聞紙などにすいとらせて生ゴミとともに捨てるといった、小さな注意が日本のおいしい水を守るのです。

 

岸 朝子(食生活ジャーナリスト)

 

1923年東京生まれ、東京育ち。女子栄養学園(現在の女子栄養大学)を卒業。食に関する職業と、32歳のとき主婦の友社に入社、料理記者としてのスタートをきる。その後、女子栄養大学出版部に移り、『栄養と料理』の編集長を焼く10年努める。その間、食べ歩き、器の楽しみなどに関した、新しい企画で販売部数を2倍に増やす。その後(株)エディターズを設立。料理、栄養に関する本を多数企画・編集する。一方、東京国税局の東京地方酒類審議会委員(~1994)や国土庁の食アメニティコンテスト審議会委員などもこなす。1993年より、フジテレビ系『料理の鉄人』の審査員として出演。的確な批評と『おいしゅうございます』のことばが評判になる。
 『おいしく食べて健康に』を心がけ、ただいま料理記者歴更新中。
 著書「岸朝子のおいしゅうございますね。」(KKベストセラーズ)、「だから人生って面白い。」(大和書房)


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