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エッセー

中国のポンプ事情雑感

 

松村 千波(まつむら ちなみ)

株式会社エミック

代表取締役社長

 

 丁度4年前の今頃、私は香港に近い広東省東莞(とうがん)の中華料理店で珍しいスープを飲んでいた。
 ご馳走してくれたのは土地の五金店(ごきんてん)のオーナーで、ポンプの販売でだいぶ儲けたらしいと噂されていた人物である。その時のスープのことはすっかり忘れていたが、昨年流行したSARSの原因が中国人が高級食材として扱っているハクビシンと報道されて、ハッと気がついた。スープそのものは舌が火傷するほどの熱さで供され、味の記憶も定かでないが、コーンスープのような色合いであったと記憶している。当時既に上海や広州は建築ブームで巨大なビルが続々と建てられておりポンプの需要は旺盛であった。
 私は以前勤めていた会社で、当時中国のポンプメーカーとの提携業務に携わっており、たびたび出張する機会があったが、それでも最近の中国経済についての報道を聞くと、その頃のことが懐かしく思い出されて来ると同時に「そんなに上手く行っているのだろうか?」とにわかに信じられないことも多い。

 

《国営企業》
 中国には、その省を代表するような国営ポンプ会社が10社程度あり、東北(旧満州)地方から華南まで広く分布している。ハルピン、瀋陽(しんよう)、長沙(ちょうさ)、上海、仏山(ぶつざん)などの国営ポンプ会社については我が国でも知られているが、それぞれ特徴のある製品群を持ち、多くは広大な敷地に、立派な並木と堂々とした工場建家を有していた。その姿は多分今でも変っていないと思うが、かつてはそれぞれ数千人規模の従業員を抱えた大企業であったが、今ではかなりスリムになっていることだろう。
 私がたびたび訪れた1990年代は仕事も少なく工場内は閑散としており、壁に「職場で炊事をしてはならない」などとペンキで大書してあったりして、工場の運営は緊張感を欠いているようであった。設備は1960年代製以前の古い機械が多く、我々の入社時代の工場を思い出させる雰囲気であった。

 

 政府はこのような国営工場の近代化と合理化に、外国企業の力を導入しようと躍起になった時期があった。前出の上海の工場は、ドイツ資本の傘下に入った数少ない例であるが、外国メーカーとの提携で成功した例は少ない。結局、国営工場の多くは合理化が進まないまま、失業問題の発生を恐れる政府の支援のもとで、形の上では民営化して、現在でもそのままの体質で残っている様子である。このような企業の整理がつかないことが中国経済の負担となっていることは、日本でも知られている通りである。

 

《郷鎮企業》
 しかし近年、経済発展が地方へ拡大するにつれ、小型ポンプの分野では少し違った動きが見られる。小型ポンプは部品の点数も少なく軽量で、その気になれば簡単に作ることができるため、建築用や農業用のポンプなどは至るところで作られるようになった。この分野には古くからの国営工場も数社あるが、新規参入組の多くは地方政府の出資した小規模ないわゆる「郷鎮(ごうちん)」企業」で、貧弱な設備でコピー製品を作るようになった。

 

 製品は性能など聞く方が野暮といった代物が多く、値段も安くその地域の需要はまかなっていたようだが、お客は国産だから物が悪いのは仕方がないと諦めていた。従って高品質を求める金のあるお客は、無理をして舶来品を買っていたが、経営者の多くは未だのんびりと地域で身の丈に合う範囲で事業を行っていた。くだんのスープを飲んだ頃、上海から汽車と車で6時間ほど乗り継いで安徽(あんき)省のあるメーカーを訪問した際、経営責任者の地位は、必ずしも明確ではなかったが、地域の行政の幹部など何人もの船頭と協調して経営せざるを得ない事情を理解はできた。それでもそのような製品を香港の商社を介してアメリカに輸出していると聞いて、たくましさに感心したが、アメリカにはそんな安物ポンプでも受入れるお客がいると思われ、日本と比べアメリカ市場の胃袋の強さにも感心させられた。
 しかし、弱少企業の中からも目立った動きをする企業が現れてきていた。香港の隣の広東省や有名な青島ビールのある山東省には、1990年ごろ「これからはポンプ」だと農機具工場をポンプ工場に転身させ、わずか10年の間に急成長を遂げた郷鎮ポンプ会社がある。従業員500人程度の会社であったが、経営者は地元に安住した商売に飽きたらず、市場を広く求め北京などの大都市でテレビコマーシャルを行い、品揃えから品質管理に至るまで改革に努め、新時代の雰囲気を感じさせる人物であった。テレビでポンプが売れるとも思えないが、知名度を高め「我ここにあり」という強い意思表示にはなるのだろう。海外からの技術導入にも意欲的だが、条件はなかなかきついことを言う。市場が拡大している時に、このような事業意欲を持つ努力家が現れて来ると会社も急速に成長するのは当然である。

 

《五金店》
 通常小型ポンプは「五金店」と呼ばれる金物屋で店頭売りされる。五金店は全国どこの町にもあるが、上海や広州のような大都会になると秋葉原の電気街のような「五金店街」があり、いつでも結構にぎわっている。そこでは様々な金物、工具、建設器具などが売られているが、ポンプはその中でも有力な品目で、専門店らしき店もある。店のすぐ目に付く良い場所に製品を置いてもらうには、品物にそれなりの魅力が必要となるのは、秋葉原と同じである。

 

 ポンプ専門店には各種各様のポンプや部品が所狭しと並べられていて、お客は現物を購入する。鋳物の肌はザラザラしていて日本では一寸嫌われそうだが、他に比べるものがなければ買わざるを得ない。それでいて、当時新製品として日本で販売に力を入れていたステンレスプレス製ポンプのコピーが既に店頭に出ており、素早く見事なコピー技術には驚かされた。新参のメーカーが有力な五金店で扱って貰うには、店員にリベートを払ったり、メーカー負担で店頭在庫を持たされたり、かなりのコストを負担させられることになるようだ。当時景気の良かった海南(はいなん)島のポンプ専業五金店主は、数年で5軒の店をそれぞれ一族や娘に管理させるまでに急成長し、貧しかった昔を自慢するほど今太閤ぶりを誇っていた。

 

 このように小型ポンプの分野では、計画経済時代のしがらみを持たず、市場経済のなかで創意工夫を競いながら生き延びざるを得ない現実が生まれていた。その中で意欲的な経営者を持った広東省や山東省のメーカーのように、地域を乗り越え、省レベルで勝ち残って来ると、小型ポンプの世界はいまや「弱小の乱立」から「数社の勝ち組」の時代に移りつつあるように見える。また、商才に長けた中国人ならではの販売の側から、業界の整理が進むかもしれない。中国の一つの省は、我が国並みの人口を有するものもあり、今のような速度で経済成長が続くと、近い将来有力なポンプメーカーが何社か出現する可能性もある。

 

 しかし、優れているように見える勝ち組企業にも悩みはある。ここまでやって来たとは言え、経営者自身が一皮むけば地方政府と「個人的にうまくやってきた」ワンマン体質であり、すべてを一人でこなせる反面、企業としては透明性や組織面で遅れが目立つ。よく調べると、事業拡大のために地方政府とのコネでバランスの取れない借入を行っていたり、資金の回収などに我々からみると何をやっているのかよく分からない事も多い。分野が違うとは言え、民営化して新たな経営陣を迎えリストラを進めている伝統と底力のある旧国営会社の動きも気になるところである。

 

 中国のポンプ業界は今まさに戦国時代なのであろう。その中でどのような姿に集約されてゆくのか、どこが人、物、金をうまく配分して、技術革新と事業拡大を継続して行くことが出来るのか、興味は尽きない。


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