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エッセー

「これからの維持管理に求められるもの」

 

 亀本 喬司 (かめもと きょうじ)

横浜国立大学大学院工学研究院教授

 

1.はじめに

 

 本稿の執筆中である平成19年7月16日(月)に、新潟県柏崎市沖を中心にマグニチュード6.8の巨大地震が発生し、死者11人、負傷者1,400余人、家屋の倒壊300余棟という大災害が発生した。これからのポンプ設備の維持管理について考えをめぐらせていた最中であり、すぐに「危機対応」の4文字の重要性が筆の進みをさえぎった。排水機場そのものがそもそも危機対応に直結したものであり、このことについて触れずに本稿を纏めるわけには行かなくなったからである。このページをお借りして、今回の地震でお亡くなりになった方々に対し心よりご冥福をお祈り申し上げますとともに、負傷された多くの方々の一日も早いご回復と被災された方々の日常復帰を心よりお祈り申し上げます。

 

 これまでに筆者は、当協会の河川ポンプ設備更新計画評価委員会委員や効率的な維持管理・更新手法検討委員会をはじめとして、国土交通省の河川設備維持管理に関連したいくつかの委員会の委員を務め、ポンプ設備の維持管理のあり方について考える機会を得た。また、ポンプ設備の事故や故障に関連した調査委員会の委員を通して、設備の適正な運転管理の重要性について認識を新たにしてきた。設備更新の妥当性評価や事故・故障の原因調査のために国内各所の排水機場を視察する機会を得たことは、筆者にとって大学の研究・教育からは得難い情報を得る貴重な体験であり、専門とする流体工学と社会との生々しい係わり合いを興味深く見つめることができた。ある設備の老朽化に伴う更新計画においては、博物館クラスのポンプが満身創痍の状態で頑張っている姿を見て感動さえ覚えることもあった。また、ポンプ運転に伴う振動・騒音など設備の維持管理にかかわる課題からは、流体工学上の先端的な研究テーマを得てコンピュータシミュレーション技術の開発に結びつけることができた。これまでのおよそ20年間に得た知見や体験だけではなく、昨今の異常気象や地震による災害の多発を考慮に入れると、これからのポンプ設備の維持管理に求められる新たな事柄が抽出される。ここでは、それらについて具体的な提言を含めて、最近感じたことについて述べさせていただく。

 

 

2.自然環境の変化とこれからの危機対応

 

 近年地球規模で観測されている自然環境の変化が原因で、各地で様々な気象観測記録の更新が報告され、大きな災害が発生している。地域河川の危機管理を担う排水機場は、想定された自然環境においてのみその効力を発揮するが、自然環境の変化が時間的に急激であると、排水能力は変化に追随できず心ならずも出水し、いわゆる不測の事態に至る。地球史的な時間スケールで言えば氷河期の周期で大きく自然環境は変化することは事実であろうが、排水機場の維持管理に配慮すべき変化の時間スケールとは無縁である。それなら、ポンプ設備の排水能力をどのような大きさの時間スケールで自然環境の変化に追随させるべきか、ここにこれからの維持管理に求められる大きな課題のひとつがある。この課題を解決するためには、自然環境の変化に対する「排水能力見直し周期」の規定と見直しの実施体制の組織化が必要である。

 

 その一方では、排水機場の排水能力を超えるような事態に際し、維持管理の主体者は何をなすべきかを具体的に見直しておかなければならない。最近、様々な分野でハザード・マップの作成が求められることがある。そもそもハザード・マップとは災害予測図のことであり、ある一定の時間内に特定の地域に災害をもたらす事象が発生する確率を図的に示したものである。スマトラ沖地震をはじめ、地球規模で起きる自然災害に対しては的確なハザード・マップはあらかじめ存在していなかった。事後には多くの反省点が顕在化し、それに対する対策が講じられ、今日ではある程度の災害予測もなされるようになっている。巨大地震にともなう巨大津波の発生とその被害があらかじめ予測開示されれば、今後この地域に同じような規模の地震が発生しても被害は最小限に食い止められることが期待できる。

 

 このように危機管理は、過去の経験から現象の科学的な分析を行い、これについては迅速・的確に対処し被害を防ぐことができるように事前に準備しておく諸方策のことであると理解できる。しかし、あらかじめ準備された方策の効力を更に上回るスケールの事象が発生したとき、想定した危機管理は実現せず、いわゆる「不測の事態」に至ってしまう。危機管理とは不測の事態と背中合わせのそんなに頼り無いものなのだろうか?ここによく使われるもうひとつの語句がある。すなわちリスク・マネージメントである。元来この語句は、経営上のリスクを対象に使われることが多かったようで、経営活動のなかで生じる危険を最少の経済的負担で最小限におさえようとする経営管理手法をさしている。最近は危機管理の意味で各方面で使われているが、リスク・マネージメントの目的とするところは、リスクが起こらないように管理するのではなく、リスクの発生をあらかじめ読み込んだ上で、それによる被害を最小限に食い止めようとすることであり、危機発生の未然防止を目的とする危機管理とは異なっている。したがって、排水機場の維持管理の目標を明確にするには単なる河川の危機管理というだけでは焦点がぼやける。つまり、危機管理には目的が二つある。そのひとつは、危険の兆候を得た際にあらかじめ準備していた対策を講じ危険を未然に回避することであり、もうひとつは、危険自体が発生した際にあらかじめ準備していた対策を講じて危険による被害を最小限に抑えることである。したがって、ポンプ設備の管理は、出水を防止するための排水と出水そのものの排水とで意味が異なる。もちろん出水が発生しないようにあらかじめ想定雨量、河川の自然流下量を算定し、出水に至らないように河川の排水能力を補助的に強化する目的で多くのポンプ設備が作られている。異常気象と呼ばれる想定外の条件に対しては、相対的に設備の能力は不足し災害に至る。想定をどれくらい超えればどのような出水が発生するかを予測することがハザード・マップを作るということであり、異常気象の影響が各地で出始めている現在、全国の機場で早急にハザード・マップを整えておくことが必要である。自然の力の巨大さと人力の無力さを認めた上で危機管理を考えるものとすれば、危機に入らずに持ちこたえられる限界はもとより、危機が発生してもどれだけ被害を少なくできるか、どの程度以上の危機であると対応が完全にできなくなるかをあらかじめ把握し公表しておくことが重要である。いわゆる不測の事態の発生を極力避けるには、危機管理・危機対応の具体的事項とその限界を明確にし、社会に示すことが大切である。

 

 

3.「変化を読む」ことによる維持管理の質的向上

 

 河川の健全な機能をバックアップし、避けがたい出水の被害を最小限に食い止める危機管理・危機対応を担保するためには、ポンプ設備が常に適切な状態に維持されていなければならない。危機管理上の必要性からある地域に排水機場が設置されても、それですぐに安心・安全が保障されたわけではなく、非常時に備えていつでもその機能を発揮できるような状態にポンプ設備を維持するシステムが適切に稼動しているかどうかが重要であることは自明なことである。しかし多くの排水機場では、上下水道のポンプ設備と比べて日常的には稼働時間が極めて少ない。このために管理運転をはじめとしてポンプ設備の健全性を保つための機器・設備の維持点検には、常時運転されるポンプ設備とは異なった仕方が要求されるが、安定した気象が続き稼動を要しない期間が長ければ長いほど危機管理上の重要性に対する認識が低下しがちになり、管理効率の向上や経費縮減が図られる際に、価値評価における緊張感が薄れ、手っ取り早く経済効果の見直しの対象となって維持管理の質が低下するようなことがあってはならない。特に近年の日本では、経済優先・実績至上の視点からの価値観が優先されがちであるが、危機管理・危機対応を主目的とする施策に対しては、より柔軟な価値観にもとづいた評価が必要であり、それぞれの環境に適合した維持管理体制の見直しと厳格な実施方法の策定がなされ、これによって危機管理が担保されるべきである。
  維持管理上のもうひとつの重要な課題は、設備更新計画の策定である。更新計画の根拠にはいくつかある。老朽化、機器の不具合、人口流動などによる社会的治水環境の変化、自然環境の変化、経費縮減など経済環境の変化がある。したがって、維持管理の質的向上を考えるとき「変化を読む」ことが重要になってくる。

 

 設備更新計画の根拠として最も理解しやすいものは設備・機器の老朽化と不具合であろう。これらは、排水機場の機能保全に直接かかわる待った無しの課題であり、機械の寿命や定期点検から更新時期の妥当性は比較的定量的に評価しやすい。したがって、機器・設備の健全性診断システムの構築は容易に実現できそうに思われる。具体的には、たとえば「ドクター・ポンプステーション」とでも呼ばれる健全性診断専門チームを組織し、全国の機場のいわば「健康診断」の定期的な実施を推進する。これによって様々な規模の機場の健全性が横断的に把握され、取り残されて老朽化する心配は解消される。「ドクター・ポンプステーション・チーム」の活動によって機器の健康が定期的に診断され、必要があれば最新の技術による機能回復措置策が提示される。ポンプ設備・機器の不具合や故障は、多くの場合振動や音に前兆が現れるのでそれらを記録し、部品交換歴や補修歴はカルテとして適切に保存しておく必要がある。一方、定期的な診断を受けていても、肝心なときに稼動できなかったり事故や故障が発生したりすることがある。これらは、機器に異常がなくてもその日の気象条件などによって通常の運転手順に従って操作を行ったとしても問題が発生することがあるからである。血圧の高い人の早朝ゴルフは禁物といわれるのに似ている。筆者にはこれまでに、寒冷期におけるディーゼルエンジンの起動渋滞から発生した排気管・消音器系の爆発事故の現場を視察する機会があった。寒冷期の起動渋滞は必ずしも希なことではないが、再起動までの時間間隔の取り方が不足すれば、起動操作を重ねるうちに未燃ガスが排気管系統に高濃度で蓄積し、エンジン着火と同時に爆発にいたることは大いに考えられる。この事故後の改善対策として、寒冷期に起動渋滞に陥ったときは、再起動操作までの時間を十分長く取ると同時に、できれば排気管の掃気を行うことが望ましいということが明らかにされたが、その数年後に国内の別の地域のポンプ設備で同様の事故が発生し、その対策についてご相談を受けたことがある。このときの関係者は過去の同様な事故については全く情報を得ていなかったという事実を知り、事故事例の適切な開示の必要性を強く感じた。更にそれから5年ほど後に、国内機場を視察した際に、満身創痍の状態で休止しているポンプに出会った。ディーゼルエンジン排気管には亀裂があり、焼け焦げたような痕跡が認められ、過去の排気管系爆発を疑わせるものがあった。事故事例は確実に事故予防につながることを考えれば、前述の「ドクター・ポンプステーション・チーム」には、定期的な健全性診断のほかに、事故事例の情報管理と開示・啓蒙活動の実施を期待したい。これによって、機器の更新や補修計画の評価に資する標準化が図られ、設備更新計画の信頼性と透明化を一層充実することができ、更に事故発生率の低減ができれば、「ドクター・ポンプステーション・チーム」の組織化には高い費用対効果が期待できるのではなかろうか。

 

 人口流動などにともなう社会的治水環境の変化を主な理由とした設備の更新や機場の新設などの計画は、都市部の拡大、河川の整備、非自然的地盤沈下、水質の変化など、社会的要因による治水環境の変化をいかに適切に把握するかによって計画の妥当性は評価できるはずである。社会的治水環境の変化は地域独特の様態を有しているから、地域に密着した継続的な観察を必要とする。したがって、国や地方自治体の行政から発信される社会的環境変化の情報を定期的に分析し、現有設備の健全性や危機対峙性の様態変化を的確に把握することが重要である。このために社会的治水環境の変化を常に監視するシステムの構築が必要であろう。この監視調査は、健康診断ほど頻繁に行う必要はないので常設の専門チームを組織する必要性は少ないが、国勢調査のように適切な周期で定期的に社会的要因による治水環境の変化を今まで以上に精度良く把握すべきであろう。

 

 近年、日常的にしかも地球規模で取り上げられ始めたのは自然環境の急速な変化である。特に地球温暖化に関連して様々な異常気象現象が現れている。その原因としては数千年、数億年という長い周期の自然の営みとする説もあるが、20世紀から今世紀にかけて人間社会による大量な資源の消費と破壊によるところが大であるという説が有力である。その観点からは、自然環境の変化と呼んでも結局のところ社会的要因による環境の変化であるとも言えるが、地域に限定された社会要因による環境変化にはその地域だけで対処可能であるが、地球規模の社会要因となると変化の予測も困難で、これまでの記録にない豪雨が続き河川の治水能力を大幅に超えることも国内ばかりでなく世界の各地から報じられている。このように自然環境の変化が単なる変化ではなく異変と呼ぶべき事態にさしかかっている可能性もあり、今後は「河川の治水をポンプ設備によって管理すること自体が、神に対する人類の小ざかしい抵抗でしかなく、ノアの方舟でも配備したほうがまだましである」などという乱暴な言葉も飛び出しかねない。国内の排水機場に方舟を配備する課題は我々の遠い子孫に譲るとして、否が応でも顕在化してきた異常な自然環境の変化に対し、排水機場の維持管理をしっかりと位置づけておく必要がある。それには前節で述べたように、機場のポンプ設備の排水能力の限界を確認し、限界を超えた場合の予想される出水状況をなるべく正確に予測するシステムの構築が必要である。これは単なるハザード・マップの作成に終わるのではなく、その地域の気象状態を時機を逸することなく的確に把握して機場の能力を超える可能性が高い場合にはその情報を地域社会に即刻開示し、予想される出水様態の説明とそれに対する対応や避難の指示をする。すなわち、自然環境の変化に対する維持管理のあり方としては、機場の能力を向上することは好ましいが、それでも能力を超える状態になったときに、機場の持ちこたえられる能力と現状を地域の人々に報じ、事後の復旧見通しまで丁寧に情報を配信することも機場管理の重要な業務と位置づけられるであろう。昔、町や村に普及していた半鐘の役向きが現在の機場に不足しており、維持管理に対する地域社会の信頼と理解が一段と深まることが期待できよう。

 

 ポンプ設備能力の更新や見直しには、その時々の技術水準や技術実績が反映されるが、その一方では技術開発の動向を把握しておく必要がある。すなわち、設備の更新は新技術の開発を推進する絶好の機会でもあることを認識すべきである。新しい技術の採用には、運転実績を重要視する点で慎重にならざるを得ないが、新技術を育成するという観点からは新技術の発掘のために多少の冒険を許容する方向性が必要である。非常時運用が主体である排水設備に適したポンプとは何か?機械効率か?排水機場に求められる価値観を柔軟にすれば、機場によっては効率よりも稼動の信頼性や機動性・可搬性を積極的に重視したポンプ設備の更新が検討されてもよろしいのではと思われる。自然環境の変化に応じて限られたコストでなるべく高い機能を発揮するには、たとえば、複数機場の連携を強化して機場の排水能力の柔軟化を図ることなども必要となろう。可変速ポンプや車両積載可搬ポンプ設備がこれから益々重要となってくるかも知れない。

 

 

4.むすび

 

 これからの維持管理について社会の関心と理解を深めるためには、単に行政の施策や機械メーカの研究開発に依存するだけでなく、次世代を担うエンジニアの玉子である学生諸君にも協力を得ることもできる。具体的には、日本機械学会やターボ機械協会のバックアップを得て「排水用ポンプのアイディアコンテスト」などを開催する。このような社会との交流をとおして、排水機場の維持管理と危機管理・危機対応の施策についてアピールし、社会との連携を育むことができそうである。これからの排水機場の維持管理に求められる大切なもののひとつとして最後に付け加えておきたい。

 

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